山五十川には他の地区にはみられない門(カド)制が現在も残っていて、お日待ちや祭りの行事など大変良い面に活用されてきている。
この門制がいつ頃に始まっているのかわからないが、荘内藩全体に宝暦10年(1760年)五人組制が置かれました。五人組の目的は相互扶助、連帯責任、相互監視の定めであったが、山五十川の門制はこの五人組制が色々と時代とともに変容しながら続いてきたものと推察されます。
戦時中の配給制度では全国に隣組制度が作られたが、我々の山五十川には門制があったので大変良かったとのことです。
また、それだけでなく、冠婚葬祭などにも門毎に契約といって色々とその門毎に取決め事項を持って、お互いの生活をしてきた事は山五十川の良い点と思われる。
以前は、北部を実俣村(川下)、南部を蕨野村(川上)といっていたが、はじめは川下に5門、川上に7門あったと言われています。現在は山五十川全域で17門となっています。