玉杉は、熊野神社の境内にあり、根本の周りは19m余り、目通し10m余り、樹高は40mにも及ぶ。全体として半球状の樹冠を有し、姿の良い点では、日本全国巨樹の中でも、稀に見るものである。精はすこぶる旺盛で太い根幹は地表に露出しているが、樹齢は1,400年位い、いわゆる老木にもかかわらず、今尚新緑青々として新樹と変わるところがない。
尚、熊野神社は、大同元年に勧請されたと伝えられる。この大杉は、昭和26年文化財保護法により、国の天然記念物として指定を受け、山五十川発祥を物語る貴重なものである。
山五十川玉杉保護会
玉杉に関する諸々の測定値などは、平成18年11月23日に温海町森林組合で測定したものが直近のものとなります。
・目通幹囲 11.4m
・根元囲 22.4m
・枝張樹冠 600㎡
・枝張(東西) 30.9m
・枝張(南北) 36.2m
大同元年(806年)5月3日、都から藤原経季が実俣村仲村の地に住みつき、紀州那智の熊野権現を歓請し、村の東南の小高い丘にあった1本の巨木(当時樹齢300年余り)をご神木と定めてお祀りした。
明治7年(1874年)神仏混淆の廃止により須佐男命・奇稲田姫命を祭神とする「熊野神社」と改称した。
明治41年(1908年)、神社合祀令にともない村内15無格社は全て合祀されたが、稀なる神木「熊野の大杉」があったので、今後社殿改築により体裁を整えることを条件に存続することとなり、大正2年(1913年)、従来の社殿を拝殿とし、合祀で不要となった村内社殿を新たに本殿として改築するとともに、社地を藤原家から神社所有にした。
昭和26年(1991年)6月9日、熊野の大杉が「山五十川の玉杉」として国の天然記念物に指定された。
平成3年(1991年)、玉杉の保護管理活動にあたる山五十川全戸加入の「玉杉保護会」が発足した。
平成13年(2001年)、玉杉に寄り添うように根の上に建っていた社殿が、村内外の浄財により沢向いに新築遷座した。
平成18年(2006年)山形県中山間地域総合整備事業により取組まれた玉杉休憩所・駐車場・石段整備全ての完成」にあわせて「玉杉1500歳」を祝った。
山五十川熊野神社に天に向かいて従容として聳え立つ巨木あり「玉杉」という、樹齢1400年、樹高36.8m 目周り11.4m 鶴翼に枝を重ね、千個の威容をただよわせており、世を鎮め、風雪に耐え、大地に深く支える縄文模様の雄大な苔むす張り根は全国的にも稀であり、見事な樹幹とともにまさに一服の絵巻であり、大同元年建立といわれるみやとしろと玉杉、いずれが先かいにしえより古老たちの論の尽きぬところであったと言う。眺望明媚な高台にあり、朝日に映え夕日に輝くその英姿は端倪すべからざるものあり、村里の有為天変とその繁栄を見守り続けてきた御神木である。
「玉杉」それは山五十川のシンボルであるとともに生きた歴史の証人である。
語り手 山口八郎 語り初め 昭和62年5月8日 祭典